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フリーゲーム万歳。今日は「セブンスコート」。
こんなことをしている場合ではないのに、ティッシュ箱片手にクリアしてしまった……。
こう言うと急に卑猥に聞こえる!(やめろ)
しかしバトル●カリ言うなwww
お前本当にフランス人なのか……いや、当然知られててもおかしくないか(おい)

というわけで、今日のフリーゲームはノベクタクル様の「セブンスコート」です。
選択肢なし、一本道のヴィジュアルノベルゲームです。当然全年齢向け。
言葉としてちょっとエグい描写があったりしますが、グロい一枚絵とかはないのでご安心ください。
(追記)……と言ったところで、プレイした片瀬さんから「グロくはないけど注意すべき一枚絵がある」というツッコミが。そうでしたすみません。流血描写等、「痛い」描写が苦手な方は避けた方が無難かもしれません。
ストーリーとしては、「うだつの上がらないインディーズゲーム製作者と、その作者のゲームをプレイしようとした『常連』が、突然ゲームの世界に飛ばされてしまう」……という筋書きなのですが、はい、この大前提きちんと覚えていてくださいね。ここ重要ですからね。

この物語は、とにかく、「作り方」が上手い。
まずは、ゲームを始める前に是非「ロワイヨムヘブン」を覗いてみてください。
こちらは、ゲームの主人公が立ち上げたサイト、という設定の架空のサイトです。
このページの「らしさ」ににやっとせずにはいられませんよね!
特に、絶対に、BBSは最初から最後まで通しで読んでおいてください。
これもまた、素晴らしくそれらしい形になっているのですが……それでは、BBSの頭に置かれた「セブンスコート」をダウンロードして、起動しましょう。
そこまでの過程を経ることに、意味があります。それは最後までやれば必ずわかります。
最初と、プレイした後とでは、BBSを見つめる視線が変わっている自分に気づかされますから。

ストーリーは、序盤から全力全開のコメディ。
何が凄いって、絵があまりにもリアル調で美しいこと。美しいからこそのギャップ。
絵もBGMも美しいのに、そんな中でキャラクターはぐだぐだとメタな会話を繰り広げる……。
途中、常連で偉そうな態度を取るヤコポと主人公・ミシェルの掛け合いとかすごく笑いました。「チート武器ktkr!」「お前絶対オタクだろ!!」的な。
……でも、後に真実を知った後にぞくっとしました。
お、おお、ヤコポ……お前……。
そう、何もかも、コメディっぽい部分も含めた全てが、最後にミシェルたちが至る「結末」への伏線だったのだと気づいた時のあの感覚。どうにも、忘れられそうにありません。
また、ところどころで挿入されるミシェルとその恋人ジゼルのリアルでのやり取りもまた、いい。
二十七年間彼女なしのヒキニート・ミシェルのテンパリっぷりがとてもほほえましいのですが、何だか、それだけに素直に応援したくなる良いカップルです。
だからこそ、全てが明らかにされた時の衝撃は、あまりにも大きかったのです。

想像ができなかった、わけでは、ないのです。
何となく、嫌な予感はしていました。でも、それでも。
後は、自分の目で確かめてください。

あまりにも主人公・ミシェルがいいやつで辛い。
いいやつだからこそ、辛い。そんなお話です。
辛い、って言ってますし、実際ものすごく辛いのですが、本当に素敵な物語です。
明るく振舞うネリーが抱いていた「寂しさ」に対して、一つの解決策を示すミシェル。
今まであれだけ煽られながら、実際のヤコポを目にして、彼のあり方を受け入れるミシェル。
そんなミシェルが愛しくて仕方ありません。

そして、イメオンのイケメンっぷりに泣けばいい。
イメオンは、最初から、最後の最後まで、どこまでもイケメンだった。
イケメンで、ミシェルとは全く違った方向性の天才で、それでも、彼にだって致命的に弱い部分があった。
弱かったからこそ、お互いに認め合えたし、イメオンはミシェルを素直に祝福していたのだと思います。
ただ、どちらも、どうしようもなく臆病だったんですよね。
それもわかってしまうだけに……。イメオンが、あの瞬間に振り返る理由も、わかってしまうんですよね。

いい奴ばかりだ。
本当に、いい奴ばかりなんだ。
セブンスコートから帰還した今、自分にはそれだけしか言えなくなってしまうのです。

是非、「ものをつくるひと」にプレイしていただきたい、名作です。



続きは、本当に、ゲームの感想というよりは、このゲームを通して自分が思ったことをつらつらと綴ってしまっただけのものなので。
自分語り乙、と軽く笑い飛ばしながらお読み下さい。
 
久しぶりに、大号泣しました。
死にネタに弱いというのがあるのですが(致命的)、それ以上に、自分、必要以上にミシェルに感情移入してしまっていたのですね……。
だから、選択を迫られた際の御使いの言葉、イメオンの焦り、そして思い出されたミシェルの記憶の追体験を通して、もう、ディスプレイが見えなくなるくらい涙が止まらなくなってしました。
ミシェルの弱さが、まさしく、インディーズで物を作ってきた「私」の弱さそのもののように思えて。
インディーズ、というカテゴリの中でも、自己満足に、閉ざされた創作を続けてきた「私」そのもののようで。
自己満足でいいんです、って認めることを、諦めだというのは自由ですし、向上心のなさ、内輪で閉じた世界というの自由です。その辺を否定する気はありません。
でも自分は本当にそれでいいんだって思っていますし、その考えを改める気はさらさらありません。
時と場合によって、少しだけ前に進もう、少しだけ外向けに開こう……と思うことはあっても、多分この思いは、創作活動という面では変わらないでしょう。

ミシェルの気持ちの全てを、私は理解出来ない。
私は、いつだってミシェルのようにならないように、立ち回っていたんですから。
きっと、これからも。そうでなければならない。私はそんなに強くない。
そうしながらも、少しずつ、勇気を養わなければならないのです。
創作物の中に込めた「自分」を、表に出す勇気を。

創作物は作者とイコールなのか、という問いかけを、何となく昨日も聞いた気がしました。
創作物が面白かったか否かを言うのは自由だし、目に付いた部分は指摘されるべきなのかもしれません。
そう、創作物がディスられたって、作者そのものがディスられているわけじゃない。
だけど、どんなに作者をディスる意図がなくたって、ミシェルのように思う人間がいるのは、間違いない。
そして、自分は、多分、そこに関してはミシェルと同じなのです。
だからこそ、内輪という柔らかな殻の中から外に出ることを恐れているのです。
今でも、積極的な宣伝を恐れ、どこか尻込みしている自分を感じていたところだったので、自分のあり方を突きつけられた気分でした……。
(だから、逆にお互いの顔が確認できる場所に出かけることは、そこまで恐れてなかったりする)

だからこそ、私はミシェルを絶対に許せないけど、そうなるしかなかったんだと、認めてしまうんです。
私だって創作者です。創作者なんですから。
その「境界線」を越えてしまった絶望を、想像することくらいはできます。
自分自身に対してならば、きっと、そこまでの絶望はなかったのだと思います。実際、ミシェルは一度は歩んできた道なわけですから。
しかし、もう一つ、自分の魂に、そして「創る」という行動の原動力に結びついた「大切な人」を、もう、創作物という形でしか存在できないその人を否定されれば。
ああ、それは当然のやり方だなあ、なんて。ミシェルの「選択」に対して思う程度には。
想像してしまうのです。

この物語は、きっと、笑い飛ばす人もいるかもしれないけど。
私が今まで胸の中に溜め込んでたものを、この場で全部吐き出してしまいたくなる程度には、ド直球に嫌なところを抉ってくる、でも一抹のすがすがしさを残す作品でした。
本当に、よい作品でした。
悔しいけれど。本当に、悔しいけれど。
その「悔しさ」を、次の創作に向けられればいいな、なんて思っています。

私はミシェルじゃないんですから。

……あっ、ダメだ、またロワイヨムヘブンのBBSで泣く。
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2013/06/10 18:37 | 遊戯全般

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