青波は基本的に同じタイプの話を何度も何度もしつこく書き直すことが多いです。
その最たる例が、前にも散々言いましたが「アイデンティティ・ロスト」にまつわる物語じゃなかろうかと。
というわけで以下グダグダ語りますが。
基本的に青波はアイデンティティと言う言葉を「自分が自分である」という認識、という意味で使います。
ちょっとニュアンスが違う気がするけど、上手い言葉が思いつかないんでまあそんな感じで。
なので、正確な意味とはちょっと違うかもしれませんが、その辺はご了承くださいませ。
その最たる例が、前にも散々言いましたが「アイデンティティ・ロスト」にまつわる物語じゃなかろうかと。
というわけで以下グダグダ語りますが。
基本的に青波はアイデンティティと言う言葉を「自分が自分である」という認識、という意味で使います。
ちょっとニュアンスが違う気がするけど、上手い言葉が思いつかないんでまあそんな感じで。
なので、正確な意味とはちょっと違うかもしれませんが、その辺はご了承くださいませ。
アイデンティティ、「自分が自分である」という認識。それを「失う」っていう感覚を通してアイデンティティそのものを問い直してみる話を、形とか手法を微妙に変えながら書いているような気がします。
結局、「自分」というのが何を通して認識されるのか、ってやっぱり失ってみるとはっきりすると思うんですよね……いや現実で失っちゃうとそれはそれで問題ですから物語として、ですけど!(笑)
で、実際の認識の仕方ってそれはそれで人それぞれなんじゃないかなあと思いつつ、とりあえずその辺の問題を抱えた連中を書いてみるわけです。
反転はそのうちでもかなりわかりやすいエピソード。と言ってもそこまでたどり着けるかどうかが微妙に怪しいんですが(笑)。
あと、空色はメインの連中がそれぞれ自己の欠落(という感覚)を抱えているっていう設定だったりします(チェインだけが微妙に例外と思っている、ってのは前にも話した通りですね)。
そのうち一番わかりやすいのは多分ブランかな……奴はかなり大げさですが。笑。
ついでに何故ブランがわかりやすいかって、丁度「自分で自分をやり直す」形になっている小林巽が、今度は自分に降りかかるわけじゃなくて、客観視点で「自己」にまつわる話に直面したりするからなんですけど。そう言う形で延々と「自己についての問いかけを繰り返す」エピソードを抱えてるのがブラン≒小林巽のあり方。
終末だと……他の連中と違って既に結論出しちゃってるんですけど、シスルが「自己」を問い直す人ではあります。シスルは肉体的な「自己」をとっくに失っちゃってるんで、己の支柱って結局何処にあるんだろう、最低でもちょっとだけ残った脳味噌にあるとも思えないしなあ、って考えて自分なりの結論を導いたタイプの人。
それとの対比で何だか曖昧なニコラがいたりするんですけど。
あとアル&マリアのコンビについては言わずもがな……なのは砂紅女史だけですけど。
己を示すもの、自分を自分と認識する理由。アイデンティティ。
でもまあ、青波、あえて「感覚」とか「認識」とかって言葉で置き換えてるところでわかるとおり、本来それってどんな状態にあったとしても完璧に「ロスト」するものでもない、っていう考え方が根底にあります。
……っていうのが物語の中で書ければいいね!
まあ、それについて上手く論じることも出来ないから、物語に託して何度も懲りずに挑んでいるのかもしれませんけれども。こねくり回すこと、それ自体はとても楽しい作業だと思います。
なーんて言いましたが、基本的には特にテーマも定めず、青波がなんとなーく抱いてる「雰囲気」を綴っただけの文章ではあるんで。そう肩肘張らずに読んでいただけたらなーと思っております。
ついでに、微妙に似たようなシチュエーションの話が多いとは思いますが、ある程度は意図してやってるんですよーという見苦しい言い訳だったりもします。笑。
微妙に角度を変えながら、一つのことをしつこく描き続けて、いつか自分でもしっくり来る、そんな語り方が出来ればいいなあと思っています。
日々挑戦でっさ……というわけで創作に戻ります(笑)。
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