それは――
「俺」が二つ目の名前を名乗っていた頃の話。
おそらく「俺」の長すぎる記憶の中でも一番幸せだった頃の話。
空色をしたあいつを、遠くから眩しいものを見るように見つめていた時代の、話。
「何で、そんなに離れたところから見てるの?」
そう、聞かれたことがあった。
「んー、俺様、あそこにいちゃいけねえなあって思ってね」
そう、答えたことがあった。
そいつは不思議そうに眼鏡の下の秋空色をした目を細めて、問うたものだった。
「何でさ」
だから、「俺」は笑って言ったんだ。
「だってさ、俺様は」
「終わり」を知ってたから。
どんな物語にも終わりがあるのだと、初めからわかっていたから。
その終わりの形も、その時には確かに見えていたから。
そして、今の名前を呼ばれて、彼は現実に引き戻される。
「……ああ、飛鳥」
「どうしたの、ニヤニヤして」
「ん、昔のこと思い出してたんだ」
「思い出せるようになったの?」
「少しだけな」
くくっと笑って、小林巽は改めてちゃぶ台の上に頬杖をつく。ワイングラスの中で、赤い液体が微かに揺らめいた。飛鳥が持ってくるワインは、高くて美味い。
巽は自称『元神様』で、遠い記憶を今も抱いて生きている。その記憶の多くは辛いもので、「思い出さないように」努めていることは友人である秋谷飛鳥も知っていた。だから、飛鳥は首を傾げる。
「ニヤニヤしてるってことは、楽しい記憶だったの?」
「どうだろうな。面白いといや面白いし」
寂しいといえば、寂しい。
巽は左の腕に巻かれた、細い銀鎖のブレスレットを見つめる。誕生日プレゼントとして、今日彼女である花屋のお嬢さん、椎名葵から貰ったものだった。曰く「巽くんにはきっと似合うと思って」とのこと。
鎖には、少女趣味にならない程度に小さな花があしらわれていた。銀で作られてはいるが、きっと元々は記憶の奥の秋空のように青い花。
『……いやはや』
巽は記憶の底にある、日本語とはまた違う言語で銀色の鎖に語りかける。
『思い出しても笑っていられるようになったんだな、俺様も』
去年までは無理やり、頭の中に押し戻してしまったものだったけれど。
何故かこの銀の鎖を見ていると、それらの思い出一つ一つが寂しさを伴いながらもどこまでも優しいものに感じられた。
同じように銀色の鎖を抱いていた、秋空の瞳を持つ人の姿を、思い出したから。
『終わりがわかってたって、俺様は幸せだったんだもんな……忘れてたよ』
どんな小さな出来事でも忘れるはずのない巽の中で、唯一忘れていた……忘れようとして封じてしまったこと。あの時の自分は確かに、幸せだった。悲しいことも多かったけれど、何よりもあの場所に立っていられることが、嬉しかった。
そして、今、自分がここに座っていられることも、同じくらい幸せなことで。
「飛鳥、俺様って幸せ者だなあ」
「巽くん、今さらでしょそれは」
「はは、言えてら」
今の名前を呼ばれて、巽は笑う。笑いながら銀の鎖を巻いた左の手でワイングラスを取った。
そうして、小林巽が「こちら」に来てから八回目の誕生日の夜は更けていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007年の小林巽。
空色執筆も宣言しましたし、折角なので正式に公開。
もちろん空色がらみの話です。
一応前空色の時に書いたものなのですが、この辺の設定は弄ってないのでほぼその時のままです(笑)。
秋空の君と、勿忘草色の記憶。
……実際に勿忘草色をしているのは自分なのだけれどもね。
(しかし青波の中ではたつみんにしろ、奴にしろ微妙に色イメージは黄色系なのです。まあ純粋にカラーリングの問題ですがっ)
「俺」が二つ目の名前を名乗っていた頃の話。
おそらく「俺」の長すぎる記憶の中でも一番幸せだった頃の話。
空色をしたあいつを、遠くから眩しいものを見るように見つめていた時代の、話。
「何で、そんなに離れたところから見てるの?」
そう、聞かれたことがあった。
「んー、俺様、あそこにいちゃいけねえなあって思ってね」
そう、答えたことがあった。
そいつは不思議そうに眼鏡の下の秋空色をした目を細めて、問うたものだった。
「何でさ」
だから、「俺」は笑って言ったんだ。
「だってさ、俺様は」
「終わり」を知ってたから。
どんな物語にも終わりがあるのだと、初めからわかっていたから。
その終わりの形も、その時には確かに見えていたから。
そして、今の名前を呼ばれて、彼は現実に引き戻される。
「……ああ、飛鳥」
「どうしたの、ニヤニヤして」
「ん、昔のこと思い出してたんだ」
「思い出せるようになったの?」
「少しだけな」
くくっと笑って、小林巽は改めてちゃぶ台の上に頬杖をつく。ワイングラスの中で、赤い液体が微かに揺らめいた。飛鳥が持ってくるワインは、高くて美味い。
巽は自称『元神様』で、遠い記憶を今も抱いて生きている。その記憶の多くは辛いもので、「思い出さないように」努めていることは友人である秋谷飛鳥も知っていた。だから、飛鳥は首を傾げる。
「ニヤニヤしてるってことは、楽しい記憶だったの?」
「どうだろうな。面白いといや面白いし」
寂しいといえば、寂しい。
巽は左の腕に巻かれた、細い銀鎖のブレスレットを見つめる。誕生日プレゼントとして、今日彼女である花屋のお嬢さん、椎名葵から貰ったものだった。曰く「巽くんにはきっと似合うと思って」とのこと。
鎖には、少女趣味にならない程度に小さな花があしらわれていた。銀で作られてはいるが、きっと元々は記憶の奥の秋空のように青い花。
『……いやはや』
巽は記憶の底にある、日本語とはまた違う言語で銀色の鎖に語りかける。
『思い出しても笑っていられるようになったんだな、俺様も』
去年までは無理やり、頭の中に押し戻してしまったものだったけれど。
何故かこの銀の鎖を見ていると、それらの思い出一つ一つが寂しさを伴いながらもどこまでも優しいものに感じられた。
同じように銀色の鎖を抱いていた、秋空の瞳を持つ人の姿を、思い出したから。
『終わりがわかってたって、俺様は幸せだったんだもんな……忘れてたよ』
どんな小さな出来事でも忘れるはずのない巽の中で、唯一忘れていた……忘れようとして封じてしまったこと。あの時の自分は確かに、幸せだった。悲しいことも多かったけれど、何よりもあの場所に立っていられることが、嬉しかった。
そして、今、自分がここに座っていられることも、同じくらい幸せなことで。
「飛鳥、俺様って幸せ者だなあ」
「巽くん、今さらでしょそれは」
「はは、言えてら」
今の名前を呼ばれて、巽は笑う。笑いながら銀の鎖を巻いた左の手でワイングラスを取った。
そうして、小林巽が「こちら」に来てから八回目の誕生日の夜は更けていく。
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2007年の小林巽。
空色執筆も宣言しましたし、折角なので正式に公開。
もちろん空色がらみの話です。
一応前空色の時に書いたものなのですが、この辺の設定は弄ってないのでほぼその時のままです(笑)。
秋空の君と、勿忘草色の記憶。
……実際に勿忘草色をしているのは自分なのだけれどもね。
(しかし青波の中ではたつみんにしろ、奴にしろ微妙に色イメージは黄色系なのです。まあ純粋にカラーリングの問題ですがっ)
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