『黒南風の八幡~隻眼の海賊と宣教師の秘宝~』
著者:唐橋史 さま
サークル:史文庫
ジャンル:本格海洋冒険譚
唐橋史さんといえば、文学フリマ界隈でも名高い「歴史作家」さんであるというのが青波の認識です。その歴史に対する造詣の深さと、創作に対する情熱をツイッター上でお見かけして、常々興味を抱いておりました。
ただ、歴史小説というとどうにもとっつきづらい印象が付きまとい、そもそも歴史に対する知識が浅すぎる自分が触れてよいものかと、ドキドキしながら遠目に見ていた次第であります。
しかし、この度何気なくこの作品のあらすじを見て、「こんなに面白そうなのに読まないのは嘘だ!」と思い、勇気を出して超文学フリマでの取り置きをお願いし(青波はどこまでもチキンである)、そして今に至ります。
まず、冒頭十ページほどを読ませていただいて、これは上手い、とただただ感嘆しました。
単純に歴史の知識を文中に盛り込むのではなく、それを「読ませる」かたち、読者を引き込むだけのかたちに落とし込む技術に唸らされます。
歴史・時代ものの一番の難しさは、「今はそこにないものを、どう読み手に伝えるか」だと思っているもので。
……実のところ、青波は江戸時代くらいの話を読むのがとても好きです。
こういう言い方は極めて乱暴なのは認識しておりますが、出てくる地名が一つもわからなくとも、出てくるものの形を何一つ知らなくても、ストーリーが面白いものはやっぱり面白いのです。
(もちろんその頃のことがわかった方が面白いのはわかるので、そろそろ真面目に調べるべきだなあ、と個人的には思っていますが、それはそれとして)
ただ、その「面白さ=ストーリーへの没入感」を得られるためには、まずは、物語の世界にどっぷりとつかれるだけの前提が必要になる、とも感じています。
その点、この本は極めて鮮やかな形で、「私の知らない世界」を目の前に描き出していました。
仮に読者の知識から離れた場所にあるものを描くにせよ、具体的にそれが「何」かに言葉を割くよりも、その空気感、手触り、匂い、そういうものをあますところなく表現することで、そこにあるものに、確かな「存在感」を示している、そんな気がしました。
この本に満ちた「生きた」気配が、物語の世界――十七世紀の海に問答無用で引きずり込んでくれました。
そして、ストーリーがまた、全編通してわくわくとときめきが止まらないエンターテインメントなのです。
小難しく考える必要なく、主人公である右近と燕による海の上の冒険を「次はどうなる!?」と一緒になって追いかけることができる、その快感。
めまぐるしく変わる状況に流されるだけでなく、行く先を見据えようとする右近の真っ直ぐな視線。敵とも味方ともいえない立ち位置で、どこまでも自由に海の上を駆けるトリックスター・「黒南風の八幡」燕の獣じみた力強さ。そして、圧倒的な力と薄ら寒い酷薄さをもちながらも、どこか人間らしさを滲ませてやまないアメルスフォールト。彼らが織り成す物語の波に、気づいたら夢中になっていました。
そこに、秘宝の謎や「片目八幡」の伝説も織り込まれて、テンポは軽快ながらも、世界の「厚み」を感じてぞくぞくしてきます。特にラストの「秘宝」の秘密が明かされる瞬間には、その冷厳な空気感と目の前に現れた「真実」にただただ圧倒されました。
そして、物語を彩る登場人物がまた、ことごとく魅力的で。特に青波は、燕に付き従う漁師にして海賊・儀助と後半に登場する鄭夫人のさりげないかっこよさにしびれました。特に後者は登場シーン数は少ないのですが、その潔さがとても美しいのです。
決して、人物についても、そう多くの言葉を割いているわけじゃないのです。それでも、そこに生きている人たちの姿は、読み手にどこまでも鮮烈な印象を植え付けてくれます。
とてもとりとめのない文章になってしまいましたが、手に汗握るアドベンチャーが好きならこの本はとても楽しめると思います。
歴史ものは堅苦しくて、なんて思ってる方にこそ是非オススメしたい、めくるめく冒険奇譚でした。
著者:唐橋史 さま
サークル:史文庫
ジャンル:本格海洋冒険譚
唐橋史さんといえば、文学フリマ界隈でも名高い「歴史作家」さんであるというのが青波の認識です。その歴史に対する造詣の深さと、創作に対する情熱をツイッター上でお見かけして、常々興味を抱いておりました。
ただ、歴史小説というとどうにもとっつきづらい印象が付きまとい、そもそも歴史に対する知識が浅すぎる自分が触れてよいものかと、ドキドキしながら遠目に見ていた次第であります。
しかし、この度何気なくこの作品のあらすじを見て、「こんなに面白そうなのに読まないのは嘘だ!」と思い、勇気を出して超文学フリマでの取り置きをお願いし(青波はどこまでもチキンである)、そして今に至ります。
まず、冒頭十ページほどを読ませていただいて、これは上手い、とただただ感嘆しました。
単純に歴史の知識を文中に盛り込むのではなく、それを「読ませる」かたち、読者を引き込むだけのかたちに落とし込む技術に唸らされます。
歴史・時代ものの一番の難しさは、「今はそこにないものを、どう読み手に伝えるか」だと思っているもので。
……実のところ、青波は江戸時代くらいの話を読むのがとても好きです。
こういう言い方は極めて乱暴なのは認識しておりますが、出てくる地名が一つもわからなくとも、出てくるものの形を何一つ知らなくても、ストーリーが面白いものはやっぱり面白いのです。
(もちろんその頃のことがわかった方が面白いのはわかるので、そろそろ真面目に調べるべきだなあ、と個人的には思っていますが、それはそれとして)
ただ、その「面白さ=ストーリーへの没入感」を得られるためには、まずは、物語の世界にどっぷりとつかれるだけの前提が必要になる、とも感じています。
その点、この本は極めて鮮やかな形で、「私の知らない世界」を目の前に描き出していました。
仮に読者の知識から離れた場所にあるものを描くにせよ、具体的にそれが「何」かに言葉を割くよりも、その空気感、手触り、匂い、そういうものをあますところなく表現することで、そこにあるものに、確かな「存在感」を示している、そんな気がしました。
この本に満ちた「生きた」気配が、物語の世界――十七世紀の海に問答無用で引きずり込んでくれました。
そして、ストーリーがまた、全編通してわくわくとときめきが止まらないエンターテインメントなのです。
小難しく考える必要なく、主人公である右近と燕による海の上の冒険を「次はどうなる!?」と一緒になって追いかけることができる、その快感。
めまぐるしく変わる状況に流されるだけでなく、行く先を見据えようとする右近の真っ直ぐな視線。敵とも味方ともいえない立ち位置で、どこまでも自由に海の上を駆けるトリックスター・「黒南風の八幡」燕の獣じみた力強さ。そして、圧倒的な力と薄ら寒い酷薄さをもちながらも、どこか人間らしさを滲ませてやまないアメルスフォールト。彼らが織り成す物語の波に、気づいたら夢中になっていました。
そこに、秘宝の謎や「片目八幡」の伝説も織り込まれて、テンポは軽快ながらも、世界の「厚み」を感じてぞくぞくしてきます。特にラストの「秘宝」の秘密が明かされる瞬間には、その冷厳な空気感と目の前に現れた「真実」にただただ圧倒されました。
そして、物語を彩る登場人物がまた、ことごとく魅力的で。特に青波は、燕に付き従う漁師にして海賊・儀助と後半に登場する鄭夫人のさりげないかっこよさにしびれました。特に後者は登場シーン数は少ないのですが、その潔さがとても美しいのです。
決して、人物についても、そう多くの言葉を割いているわけじゃないのです。それでも、そこに生きている人たちの姿は、読み手にどこまでも鮮烈な印象を植え付けてくれます。
とてもとりとめのない文章になってしまいましたが、手に汗握るアドベンチャーが好きならこの本はとても楽しめると思います。
歴史ものは堅苦しくて、なんて思ってる方にこそ是非オススメしたい、めくるめく冒険奇譚でした。
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