何というか、このゲームはいくら言葉を使っても語りつくせないところあるんですよねー……。それは確かに一つの「物語」だったはずなのに、どうしても、私はそれを正しく物語ることができない。そういうゲームだなあと感じています。
というわけで『四月馬鹿達の宴』を結構前にプレイしたんですけど、今もなお最後の畳みかけるような演出や、ところどころのイベントを思い出すと涙ぐむという体たらくであります。
以下は特にネタバレに配慮しないだらだらとしたコメント。
というわけで『四月馬鹿達の宴』を結構前にプレイしたんですけど、今もなお最後の畳みかけるような演出や、ところどころのイベントを思い出すと涙ぐむという体たらくであります。
以下は特にネタバレに配慮しないだらだらとしたコメント。
テーマとしてはものすごく普遍的で、それこそ作者様が自身でおっしゃられている通りエンデの『はてしない物語』や『モモ』を土台にして語られた、物語にまつわる物語。私は、「生きてゆくこと」と「物語ること」の関係性についての物語だと思ってます。
その「生きる」ということは、果たして一人の人が人の世で生きていくことであり、その一人の人が生み出した「物語」の中に生み出された何もかもが、その物語の中で、そして物語を見た人の中で生きていくことでもある、というか……。
例えば、その机の中に埋もれた一冊のノートに、何が書いてあっただろう。あなたは、今もそれを思い出せるだろうか。それを書いた時のあなた自身の気持ちを、その中に確かに生きていた「彼ら」の気持ちを、忘れずにいるだろうか。それを、面白おかしな物語として、なのにどこまでも真っ直ぐな切っ先として、こちらののど元に突き付けてくる。
そんな、ある一人の人間の、書きかけの物語のノートをのぞき込む感覚をゲームに仕立て上げ、その上で「ゲームにしかできない」演出や仕掛けをもって、この、もう一つの『はてしない物語』を前にした「私」を迎えてくれる。そして、切ない、けれど晴れやかな気分で送り出してくれる。
そんな素晴らしい体験ができたことを、私はとても嬉しく思うし、いつか忘れてしまうであろう彼らが(実際、もうプレイした瞬間の記憶は結構薄れてきている)、それでもこの胸に確実に何かを残していることを今こうして書きながら噛みしめているところです。
そして、冒険は続く/違う空の下でも
この開かれた世界で/君を忘れない
いつか/いつか
――再会を果たすために!
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