「はー……あー……」
「どうしました?」
資料を取りに支部に帰ってきた『イの五七』は、廊下の長椅子に座って放心している見慣れた顔に声をかけた。『ロの七一』はトレードマークである銀縁眼鏡越しに『イの五七』を見上げ、唐突に言った。
「こう、ばしゅーって手っ取り早く記憶消せたりしませんかね、メン・イン・ブラックみたいに」
「また『ロの六〇』が何か……?」
「はーい右手に見えますのは始末書の山ー左手に見えますのが次の脚本ー」
「いい具合にキてますね」
この場には無いはずの書類の姿を見ているらしき『ロの七一』には、哀れみにも似た視線を向けるしかない。
『ロの七一』は異能によって結成された部隊であるロ班の中でも数少ないデスクワーク専門の人材だ。ごく稀に、己の異能を駆使して表に出ることもあるが、そもそもの能力が荒事向きではない彼は、主に支部から指示を出して他の班員を動かし、その結果を纏めて上に報告する役割を負っている。
……要するに、「中間管理職」というやつだ。
組織の中でも新参に近い『ロの七一』だが、癖の強いロ班の連中を纏め上げ、難易度の高い任務を成功させる手腕は、上層部でも高く評価されているという。だが、ひとたび仕事から離れてしまえば、年齢相応の青年でしかないことも『イの五七』は知っている。
人と話をしたことで多少は我を取り戻したのであろう、『ロの七一』は壁にもたれかかっていた体を起こして、深く溜息をついた。
「『ロの六〇』の器物破壊癖、もう諦めていいですか」
「諦めたらそこでゲームセットですよ。バディであるあなたが諦めたら誰が『ロの六〇』を止められるのです」
「仕方ないじゃないですか、私がどれだけ言っても聞かないんだからうわああもういっそ私の記憶をばしゅーっと抹消してまっさらにしてくださいお願いします加藤さあああああん」
「残念ながら私は異能ではないので」
すがりついてくる『ロの七一』をばっさりと切り捨てて、『イの五七』は書類を持ち直す。結構本気で涙目になっていた『ロの七一』は、そんな『イの五七』を見上げて言った。
「それで、加藤さんじゃなかった『イの五七』はこれから『仕事』ですか?」
仕事、というのは組織の任務とは違う、表向きの職務のことだ。大体は単なる肩書きだけだが、『イの五七』のように組織の任務と表向きの職務を同時にこなしている者も中にはいる。
「ええ……今日こそ原稿を取り立てなくてはならないので」
「〆切、いつなんですか?」
「五日、前」
前、というのを強調して、『イの五七』は言った。『ロの七一』は「うわ」というとても素直な感想を言葉にしてから、弱弱しく『イの五七』に微笑みかけた。
「お互い、大変ですね」
「ええ。強く生きてくださいね、『ロの七一』」
「了解です」
おどけて軍隊式の敬礼をする『ロの七一』に背を向けて、『イの五七』は長い廊下を歩いていく。今日もきりきりと痛む胃を抱えて。
「どうしました?」
資料を取りに支部に帰ってきた『イの五七』は、廊下の長椅子に座って放心している見慣れた顔に声をかけた。『ロの七一』はトレードマークである銀縁眼鏡越しに『イの五七』を見上げ、唐突に言った。
「こう、ばしゅーって手っ取り早く記憶消せたりしませんかね、メン・イン・ブラックみたいに」
「また『ロの六〇』が何か……?」
「はーい右手に見えますのは始末書の山ー左手に見えますのが次の脚本ー」
「いい具合にキてますね」
この場には無いはずの書類の姿を見ているらしき『ロの七一』には、哀れみにも似た視線を向けるしかない。
『ロの七一』は異能によって結成された部隊であるロ班の中でも数少ないデスクワーク専門の人材だ。ごく稀に、己の異能を駆使して表に出ることもあるが、そもそもの能力が荒事向きではない彼は、主に支部から指示を出して他の班員を動かし、その結果を纏めて上に報告する役割を負っている。
……要するに、「中間管理職」というやつだ。
組織の中でも新参に近い『ロの七一』だが、癖の強いロ班の連中を纏め上げ、難易度の高い任務を成功させる手腕は、上層部でも高く評価されているという。だが、ひとたび仕事から離れてしまえば、年齢相応の青年でしかないことも『イの五七』は知っている。
人と話をしたことで多少は我を取り戻したのであろう、『ロの七一』は壁にもたれかかっていた体を起こして、深く溜息をついた。
「『ロの六〇』の器物破壊癖、もう諦めていいですか」
「諦めたらそこでゲームセットですよ。バディであるあなたが諦めたら誰が『ロの六〇』を止められるのです」
「仕方ないじゃないですか、私がどれだけ言っても聞かないんだからうわああもういっそ私の記憶をばしゅーっと抹消してまっさらにしてくださいお願いします加藤さあああああん」
「残念ながら私は異能ではないので」
すがりついてくる『ロの七一』をばっさりと切り捨てて、『イの五七』は書類を持ち直す。結構本気で涙目になっていた『ロの七一』は、そんな『イの五七』を見上げて言った。
「それで、加藤さんじゃなかった『イの五七』はこれから『仕事』ですか?」
仕事、というのは組織の任務とは違う、表向きの職務のことだ。大体は単なる肩書きだけだが、『イの五七』のように組織の任務と表向きの職務を同時にこなしている者も中にはいる。
「ええ……今日こそ原稿を取り立てなくてはならないので」
「〆切、いつなんですか?」
「五日、前」
前、というのを強調して、『イの五七』は言った。『ロの七一』は「うわ」というとても素直な感想を言葉にしてから、弱弱しく『イの五七』に微笑みかけた。
「お互い、大変ですね」
「ええ。強く生きてくださいね、『ロの七一』」
「了解です」
おどけて軍隊式の敬礼をする『ロの七一』に背を向けて、『イの五七』は長い廊下を歩いていく。今日もきりきりと痛む胃を抱えて。
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アイレクスの走馬灯 - snow noise blind
【外套】
「……どうした?」
後部座席に上がってみると、いつ目を覚ましたのだろう、薄い毛布を被った鈴蘭がもう一つ小さくくしゃみをした。
「寒いんだな」
「だいじょぶ。ちょっと、目が覚めちゃっただけ」
全く信用できない。
それは、僕が鈴蘭を苦手にしているから、なんて下らない理由じゃない。毛布を握る手が、微かに震えていたのだ。確かに今夜はこの時期の平均と比べてもかなり気温が低い。寒くて当然なのだ。
「寒いなら寒いって言ってくれ」
「う、うん。でも本当にだいじょぶだから。心配しないで、ゆっくり休んで」
変なところで強情だ。何が一体「だいじょぶ」なのか、僕にはさっぱりわからないというのに。
このまま話していても埒が明かない。ここが町ならばすぐにでも防寒具を調達するところだが、とりあえず今は自分が着ていた外套を脱いで差し出す。
辺境向けに仕立ててもらったもので、体全体を覆えるほどに長く、防寒性は高い。その代わり動きやすさが阻害される欠点はあるが、今この瞬間は関係ない。
「僕のでよければ、使って構わない」
「え、でも、悪いよ」
「風邪でも引かれたらこっちが困るんだ」
「だけど、ホリィは寒くないの?」
「一晩くらいどうってことない」
寒くないといえば嘘になるが、そもそも、僕の体はそう簡単に体調に異常をきたすようには造られていない。相手がジェイならともかく、僕を心配するのは見当違いにもほどがある。知らないのだから、仕方ないとは思うけれど。
でも、と言いかけた鈴蘭に、外套を押し付ける。鈴蘭は目を白黒させながら外套を握って、持ち上げてみたり裏返してみたりと落ち着かない様子だったが、やがて何とか納得してくれたのか、肩の上から外套をかけた。
「それじゃ、お休み。僕は助手席で寝てるけど、何かあったらすぐ言ってくれ」
鈴蘭からの返事は無かったが、肯定と思って後部座席から降りようとした、その瞬間。
「えいっ」
突然腕を引っぱられた。
予想していなかっただけに、そんなに強い力でなかったにも関わらず、僕は呆気なく後部座席に引き戻されてしまった。
「何を……」
するんだ、と言いかけた僕の言葉を遮って、鈴蘭が素早く体を寄せてきたかと思うと、肩にかけていた外套で僕の肩を包んだ。
「どうせ寝るなら、一緒の方があったかいよ。それに」
呆然とする僕の横で、鈴蘭は……あくまで無邪気に笑っていた。
「君が寒そうだと、わたしまでもっと寒く感じるの」
これでは襲撃されでもした時、すぐに対応できないではないか。早く何か言い返さなければ、と思うのに、言葉が出ない。
僕がそうやって口をぱくぱくさせている間に、鈴蘭は「それじゃ、おやすみなさい」とにっこり笑って、僕に寄りかかるようにして目を閉じてしまった。
……こんな姿を見られたら、絶対にジェイに笑われてしまう。
思いながらも、寝息を立て始めた鈴蘭を起こすことなんて出来るはずもなくて。
僕はただ、ただ、寄りかかる彼女の重さと温もりを感じていた。
NEXT ≫ 未定
アイレクスの走馬灯 - snow noise blind
【一日目、夜】
ジェイと鈴蘭の他愛ない話を聞き流しているうちに、夜がやってきた。
辺境で、夜に強い明かりを炊くことは自殺行為だ。変異生物や夜盗に襲ってくれと言うようなもの。だから今日は道の端に車を止めて、一旦休むことにする。
軽い夕食を済ませた鈴蘭は、既に後部座席に横たわって寝息を立てていた。
車から降りると、先に降りていたジェイが傘つきのランプ片手にくつくつ笑う。
「図太い子だな。こんな場所でもよく眠ってるぜ」
「まあ、扱いやすくていいんじゃないか」
「ホリィ」
咎めるような声。僕自身あまりいい表現ではなかったと思う。ただ、どうしても僕はこの《種子》が好きになれそうになかった。
ここに来るまで、鈴蘭はずっと暢気に笑っていた。何がそんなにおかしいのか、僕には全くわからない。
わからないものは、僕をいちいち不愉快にさせる。
「鈴蘭はいい子だぜ。話してればわかる」
「別に、悪いとは言ってない。ただ、僕は……苦手だ」
「そうか? 案外気が合うと思うけど」
「何処が」
このまま話を続ける気になれなくて、話題を変えることにした。
「それよりも、力を持たない《歌姫》なんて、存在しうるのか?」
「あたしは知らないけど、《種子》の中には力に目覚めてないって奴もいるらしいぜ」
「……なるほど」
「ま、あたしらはそんなこと気にせず、鈴蘭を無事に運んでやればいい。そうだろ、仕事人間」
「当然だけど、仕事人間って呼び方はやめて欲しい」
「事実じゃねえか」
事実であることを否定はしない。する気もない。僕は兵隊になるべく造られたのだ、任務のために生きているのは当然のこと。ただ、それと「仕事人間」という呼び名を許せるか、ということは全く別の話だ。
とにかく、そこで面倒くさい話は終わってくれた。
今日はジェイが先に見張りをするというので、交代の時間まで睡眠を取るため、車の中に戻ろうとしたその時……
くしゅん、と後部座席からくしゃみが聞こえた。
NEXT ≫ 外套
アイレクスの走馬灯 - snow noise blind
【歌姫候補】
《歌姫》とは何か?
《種子》とは何か?
僕は正しい答えを知らない。知らなくてよいことだから。
僕が知っていることは、塔があらゆる手段を使って《歌姫》と呼ぶ子供を集めている、ということ。《歌姫》は生まれながらに不思議な力と小さな石、《種子》を持っていること。それ故に、《歌姫》候補もまた《種子》と呼ばれること。この、九条鈴蘭のように。
「どうしたの?」
突然、僕の視界を覗き込んでくる、大きな目。
窓の外を見てたはずの鈴蘭が、いつの間にかすぐ側に顔を寄せていて。びっくりする僕の前で、鈴蘭は首を傾げる。
「ずっと、こっち見てたから。わたしの顔何か変かな」
「いや、そういうわけじゃ」
「あ、もしかしてこれが気になった?」
人の話は最後まで聞け、と言われたことはないのだろうか。
そんなことを思う僕の前で、鈴蘭は突然左目を覆う眼帯の下に細い指を入れて、その下にあるものを僕に見せた。
当然、それは左目だ。けれど、そこに本来あるべき瞳孔は無い。まるで曇り一つないビー玉が、白目の真ん中に嵌め込まれているようだった。
光の調節器官を持たない左目を眩しそうに細めた鈴蘭は、すぐに眼帯を下ろした。
「変でしょ」
見えなくて不便なの、と言いながら、鈴蘭は何故か嬉しそうに笑っていた。
「これが《種子》なんだよね。今までただの変な目だと思ってたから、話を聞いてびっくりしちゃった」
「そういや、《歌姫》候補には不思議な力があるっていうけど、アンタはどんな力を持ってるんだ? ちょいと披露してくれよ」
運転席からジェイが声をかけてくる。確かに、塔から渡された資料にも、力のことは何も書かれていなかった。
すると。
「力……?」
鈴蘭は、首を傾げた。
「そんなの、わたし、持ってないよ」
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