全く、面倒くさいことになったものだ。
俺の顔が怖いのはいつものことだが、ここ数日で、ただでさえ消えない眉間の皺が更に数本増えてしまった。
俺の目には、お化けや妖怪、つまり「異界からの来訪者」が見えている。
それは生まれつきなので仕方ないし、今の問題はそこじゃない。
普段はお互い不干渉を貫くひとでなし連中が、何故か近頃になって、代わる代わるに俺を脅かそうとしてくるのだ。
隙あらば訪れるそいつらを小突いて追い返すのにも疲れてきた頃、来訪者業界に詳しい上司がいい笑顔で言った。
「最近、賭けになってるそうですよ。いかなる時も仏頂面を崩さない君を、誰が最初に脅かすかって」
「そんな賭けとっとと止めさせてください」
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Title: 北風と太陽みたいなやつ
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目が覚めたら名前も出自も何一つ思い出せない上に、変な場所に軟禁されていて。脱出のためには、施設に散らばる記憶を集める必要があるという。
理不尽。不可解。状況を表す言葉には事欠かない。記憶を集める、という話だって、真実かわかったものじゃない。
だけど。
『ユークリッド?』
頭上から降る、僕の「仮名」を呼ぶ姿なき声。
『どうした、調子が悪いのか?』
僕を導く天からの声。温もりと、胸の痛みを呼ぶ、声。
あなたの声を知っているはずなのに、思い出せない。思い出せないということが、何よりも僕の胸を締め付ける。
だから、僕は前に進む。胸に渦巻く思いの意味を知るために、歪む顔を笑みに変えて。
「いえ、大丈夫です――ダリアさん」
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Title: あなたの声が思い出せない
――ブラン・リーワード。
かつて名前の無い影だった友達は、そう名乗った。
「俄然名前らしくなったね」
「だろ?」
友達は、歯を見せて笑った。俺より十以上は年上なのに、時々こうして子供の顔をする。
「リーワードって珍しい響きだけど、何か意味あるの?」
すると、友達はついと氷色の目を空に向ける。見上げれば、真っ白な雲が、風に流されてゆくところだった。
「風の行く先」
ぽつり、風にかき消されかけたしゃがれ声。
それが答えだと気づいたのは、数拍の後。
「失われた言葉だ。風が俺の背中を押してくれるように、ってな」
そう言った友達は、きっと、この丘を吹く風の行く先にいる。
二度と会えないってわかった今、確かにそう感じているんだ。
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Title: Leeward
今日も秘策――待盾署刑事課神秘対策係は暇である。
そんなわけで盗犯係の事務作業を手伝う八束だったが、どうしても目の前に座る相棒、南雲が気になって仕方ない。
見事なスキンヘッドに凶悪な目つき。警察官よりその筋の人を思わせる面構えの南雲は、普段から消えない眉間の皺を更に深め、何故か懐中電灯をあちこちに向け、手鏡と睨めっこしていた。
「さっきから何してるんですか、南雲さん」
「頭が上手く輝くライティングを考えてる」
「は?」
「毎日剃る手間がかかる割に変化が無いから、せめて光り方のバリエーションが欲しいなと」
「目にした人が反応に困るのでやめましょう。わたしも現在進行形で困ってます」
どこまでも、秘策は暇である。
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Title: 今日も南雲は仕事をしない
写真帖に、一枚、また一枚と写真が増えていく。
最初は輪郭すら定かでなかった風景が、人の姿が、徐々に焦点を結んでいく。撮影の上達を感じると同時に、四角い世界に僕らの「足跡」が残されているのだと理解する。
鈴蘭は、写真帖を繰る僕の横で、獲物の急所を見据える射手のごとく、分厚い壁に囲まれた塔に狙いを定めていた。
「ねえ、ホリィ」
ホリィ。僕の名前。歌うような声の余韻を確かめてから、顔をあげる。
「もうすぐ、お別れだね」
かしゃり。鼓膜を震わせる音色。
きっと、現像された写真に写るのは、僕らの旅の終着点。
その頃の僕は十四歳で、《鳥の塔》の兵隊で、ある《種子》を運ぶ旅の途中で――その旅も、もうすぐ終わろうとしていた。
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Title: モノトーンの足跡
そして、僕の手には、写真だけが残された。
僕の世界は《鳥の塔》と、それを取り巻く隔壁の内側のごく一部だけ。
だから、この四角く切り取られた風景は、写された人々は、どれも僕の知らないもの。
目にすることさえなければ、知らないまま生きていくはずだった、もの。
「意地悪ですね、ホリィ」
ああ、本当に意地悪だ。
ホリィ。僕のたった一人の片割れは、僕がわがままだってことを、誰よりもよく知っていたはずなのに。
こんな、記憶の切れ端だけでは足りない。
僕は、知りたいんだ、ホリィ。君が旅した足跡を。君が触れた人のことを。
この、四角い世界の、外側を。
黒い、重たい写真機を手に、塔を抜け出す。君の見た世界に、少しでも近づくために。
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Title: 残されたものたち