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2024/05/19 15:29 |
リハビリ話
最近あんまり書いてないのでリハビリがてら


 僕の一日は、日が水平線の向こうに隠れてから始まる。この身体が、太陽の光ととことん仲が悪いのだから、仕方のないことだけど。
 それに、太陽の光がなくとも、僕の仕事場であり住処でもある『紅姫飛空雑技団』の興行船『大紅姫号』は十分すぎるほどに明るかった。船のいたるところには魔法のランタンが輝いていて、もしこの船を遠目に見れば、闇の海に浮かぶ巨大な鯨に見えるはずだ。船が丸々一つの町のようだ、というダリアの言葉も、決して誇張じゃない。それほどまでに大紅姫号は巨大であり、数多くの人が乗り合わせ、それぞれの生活を送っている。
 もちろん、僕もその中で生きている一人だ。
 賑やかな乗組員に囲まれ、日々お祭り騒ぎを繰り返し、楽園を巡っていく興行の旅。終わりの定まらない旅は、僕にとって、いつだって新鮮だ。
 今までは、「終わり」ばかり、見つめていたから。
 ざあ、と。
 強い海風が、僕のローブの裾を靡かせる。昼間は必須のフードを外して、魔法の光煌く世界に目を凝らしてみる。
 今の時間は、船の甲板に設えられた舞台で、夜の公演が始まっているはずだが、診療室を兼ねた僕とダリアの部屋は舞台とは逆の位置にあるから、船体の震えと歓声が伝わってくるだけ。どんな演目なのか、興味はあるけれど、僕は僕の務めを全うする必要がある。ダリアと交代する前に、足らないものを確保しようと倉庫に足を向けた、その時。
 かん、かん、と。階段を踏む足音が、降ってくる。
 視線を上げると、頼りない足取りで降りてきたのは、見慣れた青年だった。痩せぎすで小さな身体、ぼさぼさの髪に目を覆う飛行用のゴーグル。ゴーグルのせいで表情は判じづらいものの、何かを両腕に抱え、見るからに憂鬱そうに肩を落としている。
 ……と思ったら、階下にいた僕の姿を認め、「あっ」と上ずった声を上げた。
「どうしました、ブラン?」
 僕が問いかけると、ブランは細い腕に抱えたものと僕とを交互に見比べて、それから突然僕の腕に抱えていたものを押し込んできた。
「こ、これっ、船主に渡しといて!」
「……船主に?」
「お、おおお俺っ、急いでるから! ねっ! よろしく!」
 かわいそうなくらい引きつった笑顔を浮かべたブランは、手を振ったかと思うと、でべでべ階段を駆け下りていってしまった。
 一体、今のは何だったのだろう。
 渡されたものは、よく見ると紐で纏められた封筒の束だった。船主宛だろうか、と思って宛名に視線を移したその時、今度は上から軽い足音を立てて、少女……エアが降りてきた。短く切りそろえた髪に、体の線を隠す大きめの飛行服を纏った姿は、ぱっと見「少年」にしか見えない。エアが表向きには男として通していることは、大紅姫号の乗組員たちにとっては周知の事実なのだが。
 そんなエアは、きょろきょろと大きな目であたりを見渡し、僕のいるあたりに向かって、よく通る声をかけてくる。
「ブラン、船主に手紙、きちんと届けて……って何でユークが持ってんのさ」
「いえ、先ほど通りがかったら、押しつけられまして」
「あーっ、また逃げたなあいつ! こら待てブラン、お使いくらい真面目にやれぇ!」
「ごめんエアあああああ」
 情けない返事は、そう遠くない場所から聞こえた。あの足の遅さだから、この船でも抜群の運動神経を誇るエアなら、すぐに追いつけるだろうなあ。
 そんなことを考えている間にも、エアは既に階段をほとんど一足で飛び降りて、ブランを追いかけていた。
 そんな、風のような二人が駆け抜けていった後に、残されたのは謎の手紙。

============

特に意味もなく、思いついたものを思いついたところまで。
前にも言ったと思いますが、この「ブラン」と空色のブラン・リーワードは別人です。
いつものことながら、わかりづらくてすみません。
一応同名であることに意味は無いわけじゃないのですが。
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2014/02/01 10:37 | 小説断片
影法師の告白
お題バトル
『影法師の告白』
使用お題:足あと、ライオン、影法師、お金、こぶし、風見鶏


「やあ、君は僕に気づいてくれたんだね。
 僕は誰かって? 姿も形も失った僕に、名前なんて無意味だろう。
 ほとんどの人は、僕がここにいることも気づかずに、当たり前のように通り過ぎていってしまうんだけどね。たまに、君のように気づいてくれる人がいると、嬉しいものだね。僕がまだ、ここにいるんだ、って思えるからね。『いる』ことにどれだけ意味があるのかは、わからないけどね。
 どうして、影だけになってしまったのか、って?
 君は物好きな子だねえ、しかも怖いもの知らずだ。そういう子は嫌いじゃないけど、気をつけたほうがいい。恐怖の感覚がないということは、時にとても愚かな結果を招くこともあるからね。
 まあ、まさしく、僕がそうだった、というわけだけど。
 そうだね、折角だから教えてあげようか。僕が、どうして体を失ってしまったのか。影だけで、ふらふらと歩いているのか。
 かつて、僕はこの辺りじゃ有名な戦士だったのさ。街の周りにはびこる魔物を退治して、それで金を貰って暮らす日々を送っていた。
 そんなある日、僕の耳に、一つの噂が届いた。
 風見鶏が激しく回る日、光り輝くライオンのような姿をした魔物が、街の側に現れるという噂だ。その体は金でできていて、何とかその鬣の一房を持ち帰ることができた同業者が、その鬣を引き換えに大金を得たということも聞いたよ。
 それを聞いて、僕はいても立ってもいられなくなった。ライオンを求めて旅立った他の同業者が帰ってこないという噂にも耳を貸さず、金色のライオンは光の神の使いだ、なんて僕を諭す街の長老たちを振り切って、僕はそのライオンを討伐に向かった。
 鬣一房で大金を得られるんだ、その体全てを持ち帰ることができれば、もしかしたら一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るんじゃないか、そんな風に思ったのさ。
 そして、その考えがあまりにも甘すぎたことを、思い知ることになるんだけどね。
 噂どおりに、強い風が吹いて、風見鶏がくるくる回る日のことだ。街の近くにある、ごうごうと鳴る森の奥深くに続いていた足跡を追っていけば、金色に輝く体を丸めて眠るライオンを見つけることができた。しめたとばかりに武器を構えて近づくと、ライオンは、すっと目を開けて僕を見た。体は金色なのに、目は、まるで光という光を全て殺してしまったかのような、漆黒。僕は、一瞬武器を構えたその姿勢のまま、硬直してしまった。
 すると、目の前のライオンの声だったんだろうな。頭の中に、声がしたんだ。
『去れ、人間よ。さもなくば、お前を喰らうことになる』
 低く、静かな声だっていうのに、その言葉は頭の奥深くにがんがんと響いて、冷たい汗が噴き出した。でも、酷く言葉を喋る魔物は決して少なくない。だから、僕はすぐに気を取り直して、ライオンに向かって、剣を振り下ろそうとしたんだ。
 でも、その剣が、突然、ふっと掻き消えてしまったんだ。
 一体何が起こったのか、僕にはわからなかった。手の中から、剣だけが綺麗に消えてしまったんだ。ライオンを見れば、真っ赤な舌でぺろりと口元を舐めて、言うんだ。
『残念だ。お前も愚者であったか』
 それから、突然、僕に飛び掛ってきた。僕は無我夢中でこぶしを突き出したけど、その拳も、ライオンの顎に触れる前に消えてしまった。血は出なかった。ただ、二の腕から先が、忽然と消えてしまったんだ。
 その後のことは、全く覚えてない。
 ふと気づけば、あれだけごうごうと鳴っていた森はすっかり静かになっていた。そして、起き上がったはいいけれど、僕の体は全て消えてしまっていた。何故か影法師だけが残っていたんだけどね。ライオンの姿もどこにも見えなかったけれど、また、頭に響く声がしたんだ。
『我欲に取り付かれ、神に仇なそうとした愚者よ。その姿で、頭を冷やすいい』
 そうして、僕は一人、影だけの姿で取り残されたんだ。
 最初は、影だけでどうしろというんだ、って途方に暮れたけど、この姿でも何か出来ることはないか、って考え直したんだ。誰にも姿が見えないんだから、好き勝手やったっていいじゃないか、って思った。そりゃあ、考えつく限りの色んな場所に忍び込んだものだよ。
 まあ……すぐに、それも飽きてしまったんだけどね。
 何しろ、僕は、自分から物に触れることもできないんだ。食べたり寝たりしなくてもいいから、ただ生きていくだけなら困らない。でも、そんな形で生きていることに、何の意味があるんだろう。そんな一生、頭がおかしくなってしまうよ。
 けれど、僕は、心臓すらもライオンに食われてしまったからね。自分で自分を殺すこともできずに、こうやって、影法師だけでこの世を彷徨っているわけさ。
 愚かな話だろう? 今となっては僕もそう思う。
 許しを請おうにも、あれからライオンは見つからない。ぴたりと風は止んだまま、ライオンの噂もすっかりと廃れてしまった。
 だから、どうか。
 もし、君が金色のライオンを見つけることがあったら、教えてくれないか。いや、噂だけでもいい。どうだろう。この、愚か者の、たった一つのお願いを聞き届けてくれないかな。
 ああ、ありがとう。君は、本当にいい子だね。
 そうだね、僕は、ずっとここにいるから。風見鶏がよく見える、この場所に」

2013/09/21 23:44 | 小説断片
元神様と放浪作家と隣人たちと
【元神様と放浪作家のイビツな関係】
 
>招かれざる来訪者
 
 今日も今日とて、『元神様』小林巽は己が部屋の前で、部屋の中に人がいる気配を悟っていた。
 鍵はきちんと閉めた。窓の鍵だって完璧だ。自慢の時間把握能力と完全記憶能力を舐めてはいけない、何時何分何秒に、自分がどんな行動をしたのかは、嫌ってほど鮮明に脳味噌に刻み込まれているのだ。
 それにも関わらず、部屋の中に人がいるというこの極めて不条理な状況に、それはそれで慣れきってしまっている自分がいるのも、また事実。
 扉のノブに手をかけて、溜息一つ。そして、何度言ったかもわからない台詞と共に、扉を開け、
「飛鳥あ、勝手に部屋に入るなってあれだけ……あ?」
 ようと、したのだが。
 鍵は開いていた。実はそれはそれで結構珍しい。ほとんどの場合、侵入者は「鍵も開けずに」侵入し、鍵を閉めたまま部屋に居座るのだ。実際、ノブに手をかけたのも、鍵がかかっているのを確かめるためで、本当に開けようとしたわけではない。
 だが、あっさりと扉のノブは回り、その代わり侵入防止のチェーンが、巽の帰還を拒んでいた。
 もちろん、巽には、出掛けにチェーンをかけた記憶などない。そもそもチェーンというのは家の中に人がいて初めてかけるものだ。出て行くときにかけるものではない。
「おい、飛鳥? 何やってんだ? チェーン外せよおい」
 がちゃがちゃと扉を開けたり閉めたりしていると、部屋の中からどたばたと音がして、震え交じりの声が聞こえてきた。
「あ、ああああ巽くん! 巽くんだよね! よ、よかった、帰ってきてくれたあ……。いいい今チェーン開けるね」
 心底安堵したような声と共に、チェーンが外されて、中から顔を出したのは髭面の中年男、空想作家の秋谷飛鳥であった。どういうわけか小林家にいつも忽然と現れる飛鳥は、年甲斐もなくほとんど泣き出しそうな顔で、巽を見上げていた。
「どうした、俺様がいない間に、何かあったのか?」
「そ、そうなんだよ、聞いてよ巽くん!」
 とりあえず靴を脱ぎ、バイト先で貰ってきた廃棄の弁当をちゃぶ台の上に広げながら、背中で上ずった飛鳥の声を聞く。
「実は、さっき、チャイムが鳴って」
「出なきゃいいだろ。いつもは居留守決め込むじゃねえかお前」
「う、うん、いつもならそうなんだけどさ。チャイムが何度か鳴って、その後、扉がすごくリズミカルにノックされてさ。その合間合間で、合いの手みたいに若い男の人の声で『いるのはわかってるんですから開けてください』って聞こえてくるんだよ」
「何それ怖え」
「流石に放っておくのも怖いし、恐る恐る扉開けたら」
「開けたら?」
「あ、あああ明らかに堅気じゃないっぽい、黒スーツにスキンヘッドでめっちゃ怖い顔のお兄さんが立ってたんだよ! 巽くん、何したの!? ねえ!!」
 巽は、その言葉に思わず生ぬるい笑顔を浮かべていた。
 何となく、というより、ほとんど確信に近い心当たりがあったから。
「落ち着けって。で、そのハゲの要求は?」
「と、隣の部屋の女の子が、風邪でダウンしてるから、病人食作るために、鍋と菜箸とお玉貸してくれって」
「超人畜無害じゃんそれ」
「…………」
「…………」
「本当だ、ただのいい人だ! あれっ!?」
「きっと、今頃甲斐甲斐しく卵粥とか作ってんだろうなあ、あいつ……」
 小さな台所で、淡々と粥を煮ているスキンヘッドにスーツの男を想像する。明らかに現実から乖離した光景だが、それが、十中八九現実に起こっていることであると確信できてしまうのが恐ろしい。
 飛鳥は、恐る恐るといった様子で、巽の様子を窺う。
「巽くん、あの怖い人と知り合いなの……?」
「知り合いじゃなきゃ、鍋とか借りに来ねえだろ」
 そりゃそうだけど、と言いながらも「納得できない」といわんばかりの顔をする飛鳥の前に、幕の内弁当を差し出す。自分も好物の海苔ごはん弁当を確保しながら、補足説明を加える。
「ほら、前に言っただろ、隣の部屋の女の子、刑事なんだって」
「う、うん、言ってたね。この前ちょっと見たけど、刑事らしくない、高校生みたいな顔した子だよね」
「そう。で、さっきお前が見たハゲはその子の同僚の刑事」
「刑事!? ヤのつくお仕事の人じゃないの!?」
「俺様も最初はそう思ったけどさ」
 だが、巽は知っている。
 スキンヘッドに黒スーツでとんでもなく怖い顔をしていても。
 そいつが家事全般を得意とし、甘いものとかわいいものが三度の飯より大好きで、レース編みと刺繍が趣味の典型的少女趣味であることもあり得るのだということを。
「……世の中って広いんだねえ、巽くん」
「そうだな」
 とりあえず、飛鳥をこれ以上混乱させないためにも、真実は胸の奥に飲み込んで。
 後で隣の子の様子は見に行くべきだろう、とだけは心に決めて海苔ごはんを咀嚼する小林巽であった。




2013/08/11 21:23 | 小説断片
マリーシ
お題バトル
『マリーシ』
使用お題:呪文、魔女、故障、ロケット、サイダー、椅子、酒、きょうだい喧嘩


 久々に家に帰ってきた兄貴は、椅子を引いてテーブルにつくなり、こう切り出した。
「マリーシは、帰ってこないらしい」
 それは、あまりにも突然の報せ。
「ニュースでやってただろう、移民用ロケットが故障したきり、行方不明になったって話。正式発表はされていないが、どうもあの船に、マリーシが乗ってたらしい」
 けれど、僕は、全く驚かなかった。
 何とはなしに、ここ数日、変な胸騒ぎがしていたのだ。いや、胸騒ぎ、というよりも……何か、大切なものが僕の胸の中から落ちて、空っぽになってしまったような。そんな感覚。
 それが、兄貴の言葉で、突然はっきりとした形を帯びた。そうだ、僕の中から消えてしまったのは、確かにマリーシだったのだと、すぐにわかった。
 兄貴は、僕には銘柄もわからない琥珀色の酒を、大きな氷の入ったグラスに注ぐ。ボトルの口から流れ落ちる液体が、とくとくと、心地よい音を奏でる。けれど、兄貴の目は、グラスではなくて、はるか遠くを見ていた。
 きっと、僕と同じものを、見ていた。
 マリーシ。黒髪の魔女。
 彼女は僕らの前に突然現れた。白い肌に黒い髪、黒曜石の瞳。まるで女神か天使のような綺麗な姿をした彼女は、実際にはいたずらっぽい、ちいさな悪魔の笑顔をその整った顔に浮かべていた。
 彼女がどこから来たのか、どこへ行こうとしていたのか、僕らは最後まで知らなかった。知らなくったって、何も困らなかったから。
 そんな彼女はいつだって僕らより少しだけ年上で、僕らより少しだけ背が高くて、僕らより少しだけ色んなことを知っていて、僕らより少しだけ前を歩いていた。
 そんな彼女に、僕らは二人で恋をしていた。
 酒をちまりちまりと舐める兄貴の前で、僕もサイダーの入ったグラスを傾ける。サイダーは夏の香りで、彼女の香りがした。それでふと、思い出す。
「よく、あの人のことで喧嘩したよね」
「はは、そうだな。酷いもんだった。ロケットを見に行った日のこと、覚えてるか?」
「覚えてるさ」
 忘れるはずもない。
 ある夏の日、僕らはマリーシに誘われて、ロケットの発射台を見に行って、もうすぐ月の開拓地へ向かうのだというそのロケットの足元で、僕らは大喧嘩をした。
 もちろん、原因はマリーシのことだ。その詳しい理由は覚えていないけれど、結局のところ、兄貴がマリーシを独り占めしようとしているのが気に食わなかった、ただそれだけのことだったと思う。
 だけど、いつもなら軽い言い合いで終わるはずの喧嘩は、簡単には終わってくれなくて。マリーシの前だったというのに、殴り合いにまで発展しそうになっていた。いや、マリーシの前だったから、かもしれない。とにかく、僕も兄貴も、どうにも引っ込みがつかなくなっていて。
 そんな僕らの間に、マリーシは、いつものいたずらっぽい笑みを浮かべて、割って入ったのだ。きらめく黒曜石の瞳が、僕と兄貴の真っ赤になった顔を覗き込んで。
「ねえ、何で二人とも、そんなに不機嫌さんなのさ?」
 まさか「君が好きなせい」だなんて、口が裂けても言えるはずもなくて。思わず黙りこくってしまう僕らを見て、マリーシは透き通った声で笑ったんだ。雲一つない青い空にまで届きそうな、澄み切った声だった。
 ひとしきり笑ったマリーシは、口元で細い指を揺らして、言ったのだ。
「もったいない、もったいないよ。今日はこんなにいい天気、こんなにいい場所だってのに。そんなに不機嫌さんじゃあ、私までやーな気分になっちゃうよ」
 だから、と。僕と兄貴の頭を掴んで。耳元で、僕らにはわからない言葉を、そっと囁いた。その吐息は、甘く爽やかな香りがした。それは、きっと、彼女が直前まで飲んでいた、サイダーの香りだったのだろうけど。
 一体何なんだ、と首を傾げる兄貴に、マリーシはにっと歯を見せて笑った。
「仲良しの呪文!」
 きょとんとして、僕は思わず兄貴と顔を見合わせてしまう。そして、その時には、あれだけどうしようもなく膨れ上がってた兄貴への怒りが、すっかりしぼんでしまっていたことに気づいた。
 目を白黒させる僕らを見て、また、マリーシは笑った。
 それで、僕らもつられて、笑ってしまったのだと、思い出す。
「懐かしいな」
 兄貴の言葉と、からん、というグラスに氷が触れる音で、僕の意識は現実に引き戻される。マリーシのいない世界。でも、僕の心は不思議と穏やかで、ただ、マリーシの透き通った声だけが、頭の奥に響き続けている。
 兄貴も、そう、きっと、そんな顔をしていた。
「兄貴、落ち着いてるね」
「何となくな、そんな気がしてたんだ」
「僕もだよ」
 不思議だな、と。兄貴は笑った。僕もつい、笑ってしまった。
 マリーシはもう、二度と僕らの前には帰ってこない。どこから来たのかわからなかった魔女は、僕らの手の届かない場所に消えてしまった。
 けれど、マリーシが僕らにかけた「仲良しの呪文」は、今だって有効だ。
 椅子から立って、カーテンを開ける。窓の外では、彼女が目指した大きな月が、僕らを見下ろしていた。

2013/05/18 23:20 | 小説断片
ダリアとユークリッド断片
「ダリア?」
「……どうした、ユーク」
「すみません。あなたが、どこかに、行ってしまったような、気がして」
「大丈夫だ。私はここにいる」
 ――ここに。
 ダリア・シャール・バロウズはちいさな手を握り締める。
 だが、きっと、ユークリッドはそれには気づいていないだろう。今、ユークリッドから、ダリアの姿は見えていないはずだから。それでも、ダリアの声が聞こえたことで、ユークリッドは青ざめてすら見える白い面に笑みを浮かべる。
「よかった。ダリア、次はどこに向かいますか?」
 不安でないはずはない。曖昧な足元、霞んだ意識。言葉に出さないけれど、ユークリッド自身で気づいているはずだ。自分の立っている場所が、一歩間違えばすぐに崩れ落ちてしまう、儚いものでしかない、ということくらいは。
 けれど、ユークリッドの表情には少しも迷いはない。鮮やかな色の目を瞬かせ、ダリアの言葉を待っている。
 ダリアへの、手放しの信頼。その重さとあたたかさを、確かに感じる。
 そう、あたたかいのだ。手の触れられる場所にいなくとも、ユークリッドの息遣いが、体温が、すぐ側にあるものとして、伝わってくる。きっと、ユークリッドもそうなのだろう。だからこそ、行く先の見えない世界に、毅然として立っていられるに違いない。
 ならば。
「決まっている」
 見えないとわかっていても、ダリアは、不敵に笑う。
 ユークリッドの信頼を受け止めて、凛と、声を張る。
 
「この扉の、向こうに」
 
 さあ、始めよう、「二人目」のユークリッド。
 今度こそ、このくそったれなプログラムを、終わらせてやろう。

============================

突然書きたくなった、ダリアとユークリッド。
いつかきちんと書いてあげたいなー。

2013/04/30 21:52 | 小説断片

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